感覚否定

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えらいこっちゃ。これは完全に自分に当てはまる。

長男への深い愛情については疑いようがないが、同時にひどくイラつくのも否定できない。5歳にもなってヒステリックに泣きわめいたり常軌を逸したフザケ様を目の当たりして本気でぶん殴りそうになることが少なくない。実際に本気のお尻ぺんぺんはこれまでに何回もお見舞いしている。ペンペンが拳になり、場所がお尻でなくなると、私もニュースを騒がしてきた彼らの仲間入りすることになる。決して他人事ではない。

だからこそ私はあの苦い記憶を繰り返し思い返さねばならない。小学生の頃の大好きだった飼い犬ロロとの思い出を。雨上がりにカラッと晴れたその日、私はお気に入りの服を着て朝の散歩に出かけようとしていた。ロロも晴れたのが嬉しかったのだ。泥水が飛び散るのも構わず大好きな私のところに飛びついた。その渾身の愛情表現を前に、私は渾身の力でロロの頭をぶん殴ってしまった。お気に入りの服に茶色の肉球跡をつけられてしまったから。私はあのときのロロの悲鳴と、その後死ぬまで消せなかった自分に対する卑屈な恐怖心を忘れてはいけない。理不尽な暴力を振るったものと振るわれたものとの間に、真の愛情を育むことは無理なのだ。

長男のパニックは、私の浅い社会的経験から簡単に判断をくだせる類のものではない。正しい知識も信念も持ち合わせていない今の長男へのしつけは、いたずらに脅かして彼の人格形成を歪めているに過ぎない。彼のあの不安定な性格は、むしろ私が助長させてしまっていると考える方が妥当だ。

彼に社会性を身に着けて欲しいのは事実だ。それにはしつけは必要だろう。だが少なくとも私は「しつけ」という言葉を使える立場にはない。今必要なのはルールだ。食事は手で食べてはいけない、弟を理不尽に叩いてはいけない、私のメガネのレンズに指紋をつけてはいけない、それらやってはいけないこと及びやってしまった際に発動される罰つまりお尻ぺんぺん、のルールを定める。そしてそれを遵守すべきは誰よりもまず私、次に長男だ。順序が違うのだ。