アジア的秩序と西洋的寛容

 小田嶋:ルールというか、秩序と自由の問題というのはなかなか深いことでね。どこかで対談した時に、その話になったんだ。たとえば東アジア、中国、韓国、日本というぐらいの、要するに儒教文化がある程度あるところは、100人の人間がいて、みんなが少しずつ我慢してわがままを言わないでいた方が、社会全体としては居心地がいい――といった、秩序優先の考え方をする。

 ところが西洋人の世界では、みんながわがままを言うことがベース。だから他人というものが、わりと迷惑な存在なんだけど、その迷惑の方を我慢しようじゃないか、という原理なのね。人はそもそも自由なんだから、街で変なことをやるやつがいたり、でかい音で音楽をかけるやつがいたりすることの中で暮らしていく。それが人間だよ、と。

:アジア的な秩序というのは、「みんなが一緒に住んでいるんだから、大きい音で音楽を聴くことは、みんなで我慢しましょう」という方だよね。つまり、自由よりは秩序の方を重んじて、共同体を回していく。