上を向いてアルコール

アル中に理由なし

まず、飲んじゃった、ということがある。飲んじゃったから、失業した、飲みすぎたから、離婚した、、というふうに話ができていくのです。ではなぜ飲んだんですか?という問いには、実は答えがない。(p14)

 

太宰治が傷つきやすかったのは、心が汚かったから?

赤塚不二夫が死んだときに、、、作品って三十代までですよ、、、だから、酔った勢いでいい作品をあげていたんじゃなくて、いい作品を早くふんだんにつくった後にお金が入ってきちゃったもんだから、生活がぶっ壊れて、酔っぱらいになった、、、(p27)

 

酒で現実逃避はできない

現実逃避よりも、酒が役に立つ場面があるんだとすると、何かの弁解ですよね。(p30)

 

考え方の病気です

ものの考え方そのものが、「オレはあのときにあれだけできたんだから今でもできるはずだ」とか、そういうふうにものを考えるようになる。アルコールのことだけじゃなくて、いろんな場面でそういう考えが顔を出すんです。(p46)

 

「緩慢な自殺」という設定で自分をごまかす

でもじゃあ飲むと陽気になるのかというと、別に明るい気持ちになるわけでもありません。酒が切れて憂鬱な状態と、意識の混濁した泥酔状態との、その振り子のあいだに一瞬だけ訪れる、ほんのちょっと気分がいい瞬間というのがすごく好きだったわけなんですね。当時は。(p89)

 

酒と文章2

酒に酔った人間は、本音を言っているわけではない。酒に酔ったふりをして、酔ったなりの計算をはたらかせている。「ボクはですね、課長。今日は酔っ払っちゃったからあえて言いますけどね」、、、

 

ニセモノの人生に耐えられるか

減量で厄介なのは、、、酒と一緒で、何かを我慢している人生って、本当の人生じゃないということです。少なくとも主観的には、減量中の人生はニセモノの人生です。とすると、減量はとりあえずできたとして、人はその減量中のニセモノの人生にどこまで耐え続けることができるのか、というのが次の課題になります。そんなもの、耐えられっこないじゃないですか。(p142)

 

アメリカに行けば」と「どうせ死んじゃうんだし」

若い人間は、誰であれ、、、そのときどきの個人的な問題に直面しています。若い頃は、その問題を「オレは日本にいるからダメなんだ。世界のどこかにアメリカという国があって、そこに行けば自分は、存分に自分らしい人間として羽ばたくことができる」という物語を設定することで、アタマの外に追いやることができた。(p144)

 

 短編ヨシュア君のこと

AA(Alcoholic Anonymous)のミーティングが果たしている主たる役割は、結局のところ時間をつぶすことだというのだ。、、、「とりあえずやたらと長い午後の時間がつぶれれば上等なんですよ。少なくともここに来ているかぎり、この時間だけは酒を飲んじゃう心配はないわけだから」

 


図書館でもう次の人の予約が入っているので、急いで読んでピックアップしてみたが、自分のことを言い当てられている箇所がいくつもある。自己啓発書かってくらいに。私はアル中じゃあないのに。

酔ったフリして人を褒めるな〜、しかも居ない人のことを。我ながらあざとい。酔うことで弁解とそのキャラを得て、それでないと話せないのなら、いちいちくだらない飲み会に行く必要はないな。

そして、ニセモノの人生を歩みがち。今出来てないことは今後もできない!絶対に。それこそ生活の仕組みを壊さない限り。つまりほぼ無理。

最後に、昔の若者のアメリカが、今の私のオランダで、その切り札を40代にして遂に使おうとしている。それが幻想だったとき自分はどうなるのか、、やった事に対する後悔なんてダメージは無いが、逆転ホームランの光が絶たれたときの絶望には恐怖を感じる。一切の希望が無ければ人は生きられないと思うから。